タクシーの「介助料」は差別か

タクシードライバーをしていたときに気になったことの一つに、「車いすのお客さまの乗降介助」の問題があります。

車いすのお客様の乗降は見た目以上に大変な重労働です。

もちろんタクシーという交通機関の社会的使命としてバリアフリーに対応することの重要性は十分分かっているつもりですが、現状のタクシーの料金システムでは車いすの乗降介助に関する労働が完全な無償労働になっているということはほとんど知られていません。

たとえば先日も、とあるタクシー会社がユニバーサルデザインの車両を導入しながら車いすのお客様の乗降に1,000円前後の「介助料」を独自に設定していたことが法令違反に当たるとして国から指導を受けた、というニュースが流れていました。

確かにタクシー会社が国の認可なしに独自のオプション料金を設定したりするのは法令違反ですし、障害者の権利保障という見地からもよろしくない、という権利団体の言い分も分かります。

ですが、現場のタクドラにとってはどうなのかという点は何一つ報じられていません。

タクシードライバーの賃金はなんだかんだ言っても完全歩合給です。そして現状の運賃体系では、お客さまが車イスであっても通常の運賃以外いただくことはできません。これは一見当たり前のことに見えるかもしれません。

しかしこれ、実際にドライバー目線ではどうなっているかということについては、マスコミも国交省も口をぬぐって全く言いませんが、実際にはこのようになります。

乗車時の作業(所要時間10~15分前後)

 ・乗降作業ができる安全なスペースを探して停車

 ・降車して後部座席をたたみ、車いすで乗車可能なスペースを確保する

 ・金属製のスロープを設置する

 ・周囲の安全を確認してご乗車をサポート、車イスを車内に固定する

 ・手荷物類をトランクへ

 ・スロープをたたみ、安全を確認して発車

降車時の作業(所要時間10分前後)

 ・安全なスペースを確保できる場所に停車

 ・スロープを設置

 ・安全を確認して車イスの固定を解除、ご降車のサポートを行う

 ・手荷物類のお渡し

 ・スロープをたたんで収納

 ・後部座席を展開して元に戻す

給与

  完全歩合給(メーターの税抜き金額の半分程度)

文字にするとそれほどでもないように見えるかもしれませんが、こうした作業を安全な施設や病院の敷地ではなく、他の車や通行人が行きかう公道上で安全に行うのはかなり神経を使う作業です。こんな状態でも大阪市内の車は平気でクラクションを鳴らして容赦なく突っ込んできます。

また、車両が車いす対応でない旧来のセダン型の場合は、これよりもさらにハードな業務を強いられます。

まずお客様を直接介助してタクシーの座席に座らせた上、車いすを折りたたんで後部トランクに収納、到着後は車いすを安全な場所に展開してタクシーからの移乗補助という介護ヘルパーと同等の純然たる肉体労働が必須になります。

そしてあまり言いたくはないですが、こうしたお客さまの行き先はほとんどが最寄り駅からご自宅・病院などの近場で、運賃は1,000円程度で収まることがほとんど、そのうえ障害者手帳等をお持ちの場合は1割引きになりますが、運転手の給料も割引後の運賃を基準に計算されます。

そうするとお迎えやら待機やら運転やらの時間を含めると実質1時間前後かかる労働に対し、運転手への報酬は 税抜きで900円 × 0.5 = 450円そこらです。そして乗降の介助にどれだけの手間や時間がかかろうが、その部分は1円たりともドライバーの給料に計上されません。純然たる無償奉仕です。

つまり現行制度で「タクシーは介助料を取るな」ということは即ち「その分はタダ働きしろ」と言うのと同じなのです。

他の優良法人案件で報われる大手系のドライバーはいいとしても、流しやアプリで1件いくらで生計を立てている中小・零細会社のドライバーにはたまったものではありません。また大手系でもこうした「割に合わない案件」はベテランではなく、本採用前の新人など立場の弱いドライバーに集中的に割り当ててお茶を濁しているのが実態です。

これではドライバーが「こんな非効率な案件に時間と労力を割かれるくらいなら、他のもっと割のいい案件を探したい」と考えて逃げたくなってしまうのも仕方ないのではないでしょうか? タクドラはボランティアではありません。生活が懸かっているのです。

もっとも国や権利団体がおっしゃるように、「UD(ユニバーサルデザイン)タクシー」の導入に際しては国や自治体から1台数十万円の助成金があるのは事実です。でもそれはあくまでも車両を購入した資本家もとい事業者への補助であって、実際に労務を提供している現場の運転手の賃金にはビタ1文還流されません。

だからと言って勝手に「介助料」みたいな独自の別料金を要求することは制度上許されるべきではない、というのは確かに正論です。ではいったい誰がこうした現場のドライバーの労働に正当な報酬を支払ってくれるのでしょうか? 

少なくとも公的な立場の人たちが社会的な公平や平等を謳うのであれば、それに伴う費用をだれがどう負担するかまで制度設計を考えて主張すべきです。それをしないのは単なる思いつきの偽善です。

国交省もマスコミも権利団体も耳障りのよい正論を振りかざして正義面するのは結構ですが、せめてその美しい正論がタクドラという社会的弱者の搾取労働の犠牲の上に成り立っているという事実は知っておいてほしいと思います。

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